Turning Point – 1

5年の沖縄生活

 2013年8月に京都から沖縄に転居した時は、これが最後の大移動だと思った。本土に戻ることは二度とないだろうと。移住の動機は『放射能が怖い』という単純だが根源的なものだった。福島の現実は人によって大気受け止め方が大きく異なる。極度に心配する人から、ほとんど忘れて生している人まで幅が広かった。
 私たち夫婦は、どちらかといえば、いやかなり神経質になっていたと思う。ネットから情報をかき集め、線量計も購入してしょっちゅうあちこちの線量を計測していた。雨が降ると数値が上がる。デジタルで表示される結果に一喜一憂し、疲れ果てて出した結論が沖縄への移住だった。京都を離れる寂しさはこの海の美しさが薄めてくれた。実に心洗われる思いで、週末には必ず細君と海岸めぐりを繰り返すことになった。幸い、医師という職業柄、免許証さえ携帯していれば日本中どこででも生きていける。そのせいか、これまでも一か所に長く定住するということがなく、新しい可能性を求めては積極的に渡り鳥のように『移動』してきた。その結果の収支決算はプラスからマイナへ、あるいはその逆へと大きく揺れ動いた。経済面は別にして、職業人としてのスキルアップという面では大きな成果を上げることができた。そのおかげで、転職のたびに給与は上がっていったのだが、バブル崩壊、リーマンショックのあおりを受け、買い取ったばかりのクリニックは莫大な負債を抱えて破綻するに至った。世の中の動きに疎かったことが無謀な独立という自殺行為の原因だ。前オーナーは見事に売り抜けたわけである。その後の収入は一気に四分の一にまで激減。埼玉に転居するなど苦しい3年間を体験した。この間、細君は常に前向きで明るく接してくれ、まさに内助の功を完璧に実践してくれたことになる。もちろん趣味にお金を回す余裕などなく、慎ましいアパート生活をおくり、負の遺産を整理するために自由時間も忙殺された。そんな折、あの3.11を体験したのだ。原発の放射能漏れ事故に過敏になっていた夫婦はすこしでも西へ避難、ということで再度、懐かしい京都に戻ることにした。ところが、その後京都ですら空間線量が上昇しはじめ、細君を守るために沖縄への移住を決断するに至ったというわけである。
《続く》